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収集本能

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 動物は、多かれ少なかれ収集本能を持っている。それは生きるための基本的欲求、「食べる」からきていると思う。  かつてのある日に、犬を連れて山越えのハイキングに行った時のこと。昼食のにぎり飯が余り犬に与えたところ、そのときは欲しくないらしく咥えたままウロウロしている。やがて適当な場所を見つけて穴を掘り出した。そして、いつ取り出して食べるつもりなのか、その穴へ埋めてしまった。  いつも身近に豊かな食べ物があり、欲しいときに欲しいだけ得られるのなら、おそらく「貯える」ということはしないであろう。少しでも多く、またより良い食べ物をということから始まり、「より豊かな生活」を目指して衣食住から装飾品、遊び=趣味へと収集本能が働き、次第に高まっていったものと思う。  趣味の分野では、いろいろな物を集めている人がいます。切手やマッチのレッテルは昔からよくありましたが、空き瓶や看板から自動車に携帯電話まで、さまざまです。他の人から見ればゴミとしか見えない物を集めている人もいます。それぞれの収集家の考えがあってのことですが、人間は、つまらない物でも極端に少ない物とか珍しい物、また、多く揃っているとか現実離れをしているとかに驚きや感動を覚えることがあります。趣味は独りよがりのところが大変多いですが、集まった安心感や出来にくいことに対する達成感に、快い刺激を感じているように思います。

古美術という病にかかって

  私が古美術や古民芸に興味を持ったのにはいくつかの条件があったのだと思う。今思い返すと①生まれ育った家の近くに何軒かの和建築があり、こんな家に住んでみたいなあと思っていたこと。②小さい頃から絵を描いたり、物を作ったりが好きで美術の道へ進んだこと。③家は父が教師をしており、5人の子どもを養うには余り裕福ではなく、良い物、本物を持ちたいという気持ちが強かった。④そんな中で切手、古銭、金魚、サボテンなどの趣味を、少ない小遣いとアルバイトをして楽しんでいた。この時に、より良い物を持ちたいという欲?が強まったと思われる。⑤職に就き、福知山で下宿をしていた時にお世話になった先生の家が、和建築で室礼も良く気持ちよく迎えていただいた。この先生の影響を受けることになった。先生について古美術店を見て回るうちに、自分も気に入る物を2、3点使ってみたいなあと思い始めた。これが病の始まりである。  私は酒が好きな方で、毎晩少々ではあるが欠かしたことはない。盃ぐらいは気に入る物、愛用で使える物をと小降りの蕎麦猪口を買う。それが手に入ると古い壺を眺めて飲めばいっそう酒がうまいかもとまた一つと増えていった。数点集まると、自分で古美術店を回りいろいろと買ってきた。それを先生に見せると「良いもんだ」「安く買えたねえ」と褒められ、もうブレーキはきかなくなった。  3年間の下宿生活を終えて京都に戻ってきたが、同じ職場のKさんに紹介してもらったT古美術店を知ってから本格的な趣味となった。T古美術店の主人は当時まだ若かったが、やる気満々で目が利き、良い品を安く仕入れてきて分けてくれた。品物を買うというより「店を買う」「信用を買う」というつもりで通い、だから欲しい物がサラリーでも買えたし良い品が集まってきた。  こうして、陶磁器、木製品、布、紙製品、ガラス製品など広い分野の物が集まった。あらためてこれらの見所を鑑賞し、生活への生かし方を考えまとめてみたい。

用の美

 「用の美」とは、必要があって作り出され、心のこもった技術と美意識、そのうえ丈夫で使いやすいもの、しかも自然な材質は心も和みいつまでも愛用して使えるもの。これらが用から生まれた美「用の美」ではなかろうか。  一例に盆を取り上げると、ひと昔前まで欅や栃のくり抜きに漆を塗ったもの、四方盆に根来塗りをしたものなど、何年何百年と飽きることなく使われてきた。使うほどに味わいも出てくる。焼き物でも古伊万里や京焼など実に丁寧に作られ、どんな料理を盛りつけても食欲が増す思いがする。六古窯を中心とした土物も、眺めるだけで心が落ち着くが、花を生けたり傘立てに使ったりすればしっくりと生活にとけ込んでくる。  古き時代に使われていた物を見てみると、家、家具、日用品等どれをとっても自然の素材を使い、一つ一つ心を込めて作られている。長い歴史の中で、その時代その時代にもっとも良いと思う物が生み出され、地域や時代に生かされながら受け継がれてきた物である。

趣味雑感

 これまでに書きつけたもの、ギャラリーのこと等、載せていきます。 ギャラリーwebサイト 「古民芸 遊」